江戸時代のお薬事情~お江戸の薬は1500種!?~ | 薬にまつわる歴史

薬にまつわる素朴なギモン

江戸時代のお薬事情~お江戸の薬は1500種!?~

江戸時代に入ると薬売りが盛んにおこなわれるようになります。当時売られていた薬は胃腸薬や膏薬を含め津代なんと1500種類もの薬が売られていたそうです。そんな江戸のお薬事情に目を向けてみましょう。


江戸最初の薬屋は目薬を売っていた?

江戸に街ができるのは徳川家康が江戸に入った1590年の事です。当時江戸の町は数件のあばら家が建つ何もない湿地帯で町すらありませんでした。そんな場所の街づくりのために近隣から多くの人夫が集められ街づくりが行われましたが、人夫の間に眼病が流行ったのです。

その際によく聞くと評判になったのが目薬「五霊膏」でした。この薬は元々小田原の薬種商益田友嘉が作っていたもので、1593年には最初の町割りで日本橋4丁目に移り住み、店頭に並べるようになりました。これが江戸初めての売り薬でした。その後は1614年に大坂堺の街から松本市左衛門がやってきて家伝薬である調痢丸の販売を始めるなどして次第に堺や京都の薬商人が移住する様になり本町は薬の街として発展します。18世紀になると江戸の人口が100万人に達し、104軒の薬屋があったそうです。19世紀に入ると薬に関するお店は250軒を越えました


どんな薬があったのか?

江戸時代の病気は主に疫病、癪、食傷などが主な病気と考えられていました。疫病は伝染病以外にも意味はあるようですが当時は怨霊、疫病神の仕業だと思われていたため祈祷やお札が人気でした。医者による漢方や鍼による治療も行われていたようです。癪は原因のわからない痛みを伴う内臓疾患の総称で現在の胃癌をはじめとした胃痛、盲腸、生理痛なども癪と言われていました。

江戸時代の薬の多くはこれらに効能があると宣伝されており、たくさんの人がこういった病気に対して治療薬を求めていたことが分かります。この他にも江戸の食生活が変化したことで食傷になる人も増えていたようで、上野で売られていた錦袋円という薬が人気でした。ちなみに薬売りをしていた人たちは薬の研究や薬効に詳しいわけではなく、そのあたりは武士や医者、学者によって研究されていたようです。


最初は輸入に頼っていた?日本の薬

一方で薬の中には偽物や効果のないものまで出回っていたようです。これは朝鮮人参はじめとした薬は中国からの輸入に頼っていたためでした。特に万病に効くと言われた朝鮮人参は高価で中にはこれを得るために借金をして返済に困る人もいたようです。

幕府は偽物対策や品質の確保、安定した流通のために国内で使える薬を探し、栽培を奨励しました。その後、朝鮮人参は栽培に成功。日本国内でも貝原益軒をはじめとした学者によって国内の薬草の知識が集積されると和薬の市場が開かれ大規模な栽培施設も作られるようになり、医者にいけないといった人のために民間でもできる薬の作り方をまとめた本なども出版されると江戸の町に薬は一気に普及したのです。

戦国時代が終わって太平の世の中になると人々は健康について気に掛けるようになったようです。健康に気を遣うのはいつの時代も変わらないのかもしれません。江戸の薬屋は万能薬と宣伝して中には処方の由来に神様のお告げを加えたりしたり、店先に人目に付く看板を立てるなどして薬を売っていました。江戸の薬文化は一般人の健康でありたいという願いに下支えされていたのです。