自分の説を証明するために病原菌を飲んだ!? | 薬にまつわる歴史

薬にまつわる素朴なギモン

自分の説を証明するために病原菌を飲んだ!?

多くの医者や学者が病気の解明や薬を作るこの途に心血を注ぎ、その過程で自身もその病気にかかり命を落としました。その中でも19世紀に猛威を振るったコレラの研究を行った人物の1人、ペッテンコーファーについてご説明します。


近代衛生学の父

本名、マックス・ヨーゼフ・フォン・ペッテンコーファーはドイツ南部の貧しい農家の家の生まれでした。8歳の時に薬剤師をしていた叔父の元に預けられると教育を受け優れた成績を残します。その後は叔父の跡継ぎとして薬剤師の道を進みました。薬剤師の免許を取ると医学生としてミュンヘン大学で医学生として学び、医化学研究者として優れた才能を発揮します。

大学で医学博士号を取るとヴュルツブルク大学などで医化学研究に努め生理学の分野でも貢献しています。その後は王立造幣局を経てミュンヘン大学の教授になりドイツの質の悪かったセメントの改良などのさまざまな分野で貢献、次第に科学界のリーダーの1人となります。

ちょうど19世紀のヨーロッパはコレラの大流行を起こしていた時期でした。コレラとはコレラ菌が元で起きる病気で主に下痢などによって脱水症状を引き起こす病気です。適切な処置を行わなければ多くが死に至る病気として過去には猛威を奮いました。1849年に彼はこの対策チームの1人として研究を始めます。

現在ではコレラ菌によって発症するものと分かっていますが、当時まだコレラ菌は確認されておらず、彼はコレラの流行は環境の汚染を引き起こす物質が原因だと考え上下水道の整備を強く訴えたそうです。結果的には上下水道の整備が進んだことで感染源となる患者の排泄物の処理も適切に行われるようになると流行拡大に歯止めをかける結果になりました。このことにより彼は近代衛生学の父と呼ばれるようになりました。しかし、コレラ菌の発見で彼の状況は変わってきます。


コレラの学説で大喧嘩~飲んで証明する~

彼は近代衛生学の第一人者となったうえ、当時はコレラ研究の第一人者でもありました。しかし、ある日コッホという学者によって、コレラ菌の存在を発表しました。次第にコレラ菌の存在が認知されるようになったある日、ペッテンコーファーはコレラ菌が原因ではないことを証明するためになんとコレラの入った培養液を飲むという実験を行います。

これにはこの実験の結果、彼は激しい下痢と脱水を起こし入院、一緒にコレラ菌の飲んだ弟子のルドルフ・エメリッヒはコレラに感染し生死の境を迷う事態になりましたがお互いに一命を取りとています。この結果、彼はこの論争に負けを認めたことで彼は次第に表舞台から次第に退いていきました。ちなみにこのペッテンコーファーは明治の日本の医学に関わっています。医者で文豪の森鴎外や東京大学の衛生学の初代教授にもなった緒方正規などは彼の教え子もいました。

その後、コレラは研究が進むと予防方法とワクチンの研究が進んで世界的な感染などは起こらなくなりました。しかし、その過程にはいくつもの実験とさまざまな研究によって病気の治療ができるようになっているのです。時には医者みずから自分で人体実験を行ったりしました。病気を治す薬が生まれる過程には様々なドラマがあるのです。