世界初の解毒剤を作った王 | 薬にまつわる歴史

薬にまつわる素朴なギモン

世界初の解毒剤を作った王

古今東西、権力者は戦場で亡くなることもあれば、病気で亡くなることもありました。しかし、中には権力争いの陰謀で毒殺や暗殺される王様も珍しくありません。紀元前一世紀ごろ、毒殺を恐れたがゆえに万能薬を開発した王様がいました。その名をミトリダテス6世と言います。


ローマと争った王ミトリダテス

ミトリダテス6世は紀元前120年にギリシャから東にあるポントス王国に生まれます。当時のギリシャはヘレニズム文化で繁栄した時代です。彼は子どもの頃からかなり優秀な人物で言葉は当時支配下に置いていた国で使われていた言葉22の言語を通訳なしで会話ができるほどでした。

彼の父親が暗殺されると王位を継ぎますが、年が若かったために権力を母親に握られ彼は監禁されてしまいます。母親に命を狙われますが王宮を脱出し数年間荒野で過ごしました。その後、クーデターを起こし王位につきました。この時に妹以外の兄弟すべてを殺害しています。その後は周辺勢力と争うようになり、現在の黒海周辺まで支配するとローマの勢力が伸びつつあったアナトリア地方に進出します。

彼はアレキサンダー大王のようになりたいという願望もあったようです。アナトリア地方に進出するとそこにいたローマ人の多くを老若男女問わず殺害。その数8万人に上ったそうです。これをきっかけにローマと戦争状態に入ります。ローマとの戦いは3度行われましたが一度目はスッラ率いるローマ軍に敗北、二度目はローマが講和条約を破って侵攻しこれを撃退します。三度目は一時的に優位に立つも敗北。もう一度ローマと戦おうと兵を集めるも失敗し逃亡先で息子に反乱を起こされ自殺しました。


毒殺を恐れた王

彼は過去の経験からかはわかりませんが極度に毒殺を恐れていました。その対策として日ごろから毒薬を服用することで毒に耐性をつけようとしていたのです。この他にも毒に対する研究も行っていたようで、彼の王宮には植物園があり、中には毒キノコやアヘンと言った毒草の類が栽培されていたそうです。

研究は各毒草の効果を調べるために囚人や兵士たちを使った人体実験だったらしく、その結果彼は解毒剤「ミトリダテウム」を完成させます。囚人を使った人体実験の結果効果は確かだったらしく、その中にはショウガやサフラン、シナモンなどの健康に良さそうなものの他、アヘンや鎮痛作用のある没薬が使われていました。


毒に耐性を付けた結果…

先ほども言ったように彼はローマとの戦いで敗北し死を選ぶ結果となりました。後に帝政ローマの基礎を築くカエサルのライバル、ポンペイウス率いる軍隊に迫られる中妻子共々服毒自殺を図るのです。しかし、ここにきてこれまでの努力が仇になりました。日々毒に対する耐性を付けた結果、毒で死ねなかったのです。妻子が毒で苦しんで死ぬ中、自分だけ死ねなかったため彼は部下に自分を殺すように命じ生涯を終えました。毒におびえた男が毒で死ねずに苦しむという何とも言えない結果でした。

その後、彼が作った解毒薬はポンペイウスによって持ち帰られローマに伝わりました。ローマの学者もこの解毒薬には舌を巻いたらしく、処方の仕方も解読されその後ネロ帝の時代に改良され万能薬「テリアカ」として発展することになりました。