歴史上の偉人と薬との意外な関係 | 薬にまつわる歴史

薬にまつわる素朴なギモン

歴史上の偉人と薬との意外な関係

歴史上の人物と薬のかかわりについては自分で薬も作っていたという徳川家康の健康オタクっぷりが有名ですよね。しかしこの他にも薬と関わる歴史上の人物がいます。今回はそんな人物たちをご紹介します。


先祖は目薬売り?黒田官兵衛

黒田官兵衛と言えば大河ドラマで俳優・岡田准一が演じた豊臣秀吉の軍師とも言われる人物ですが、そんな黒田家は元々目薬売りをしていたと伝わっています。その名も玲珠膏と言い、元々黒田家は官兵衛の曾祖父が室町時代10代将軍足利義植の頃に六角氏の下である戦いに参戦していましたが、命令違反で将軍足利義植の怒りを買い追放され、備前の国、現在の岡山県の親族の元に移ります。

その子供である黒田重隆は現在の兵庫県姫路市に移り住むと彼は広峯神社という神主と一緒に目薬を売り歩きしていたと言われています。その後は金貸しもなども始めると次第に有力豪族の仲間入りし、その後は御着城の城主、小寺政職に仕えるようになります。その後、官兵衛の父に当たる黒田職隆が小寺性を貰い、主君の養女を妻に迎えると官兵衛が誕生します。

これが黒田家に伝わる目薬売りのエピソードです。ちなみに当時の目薬は現在のようなものではなく、貝殻の中にペースト状にした膏薬を入れてそれを一晩水につけて寝かせます。するとそこから水に薬効成分が染み出るのでそれを点眼していたようです。材料については詳しいことはわかっていませんが、この時代は牡蛎の貝殻を粉末状にしたものを使い、黒田家の目薬にはカエデ科のメグスリノキを使っていたと言われています。


あの新選組副長、土方歳三が売り歩いた石田散薬

江戸時代も終わりのころの幕末に京都を震撼させた事件がありました。京都に火を放ち天皇を奪還するというものでした。これを未然に防いだのが新選組による攘夷志士襲撃、池田屋事件です。この事件をきっかけに長州藩士が挙兵し禁門の変が勃発。後の幕末の混乱に突入していきます。

新選組の副長だった土方歳三が若いころに売り歩いていたのが石田散薬です。土方歳三の生家で作られていた家伝薬で家のそばに流れていた多摩川の支流に生えているミゾソバから作られていた薬でした。効能は骨折や打ち身、捻挫、筋肉痛、切り傷などに効果があるとされ1704年ごろから1948年まで製造販売され、得意先が400軒ほどあり、関東近県にも卸して販売していたようです。

作り方は土用の丑の日に刈り取ったミゾソバを天日で乾燥させ乾燥したものを黒焼きにして鉄なべに入れる。その後日本酒を散布して再び乾燥させ最後に薬研にかけて完成とのことです。服用方法も変わったもので、水で飲まずに熱燗で飲むものでした。効能に関してはよくわかっておらず、1948年以降に薬事法改正で民間薬や黒焼きを行うものを薬とはしないと決まったため製造を中止したようですが、石田散薬しか飲まないという老人もいたようです。

歴史上の人物と薬の関係でしたがいかがでしたでしょうか?黒田官兵衛に関する記録はどこまで事実かは分からないところがあります。しかし官兵衛はかなりお金にうるさい人物であったという話が伝わっていますから商人をしていた、と言うのはあながち間違いではないのかもしれません。石田散薬については時代が近いのでほぼ事実でしょうがそもそも薬として効くのかはわかりませんね。